今日、じゃなくて昨日だな。
なんか不思議な日になった。叔父が亡くなった。
飛行機の手配について母から電話があり、それを知らされた。いつ、何で亡くなったのか、母は言わなかった。恐らく慌てていたんだろう。多分、普通の理由で普通に亡くなったんだろう。
わたしは叔父の死を聞いて、一瞬驚きはしたものの、動揺はせず、何処か納得すらしていた。仏壇がやって来たこと、わたしが仏壇に参った日に一族のお墓の話をちょうどしていたこと、その翌日から母が四国の霊場巡りに出、帰って一夜明けた昨日、叔父が亡くなったこと。昨日で父は弟を二人共亡くしたことになる。姉と妹はまだ元気で何よりだ。
叔父のニュースがやって来た時、わたしはちょうど愛について考えていたところだった。愛と死。この対比。叔父は亡くなって、まだ家の近くをうろうろしてるんだろうか。優しい叔父だった。優しすぎて、人としては弱すぎたんだろう。彼は一人で酒に溺れて生きていた。11年前に自死した叔父も生涯一人だった。彼のことを考えると、わたしは無力になる。彼の葬式の日のことを、どこかに書いたことあったかな?書きたい、書いておきたい、いつか絶対に書くぞ。
そして当然のように父と母は田舎に飛ぶが、わたしと弟はここに残る。葬式に出るのか?と一言も問われない。二年ほど前に従兄弟が自死した時もそうだった。祖母が亡くなったのはその前だっけ、後だっけ。もう覚えていない。
死者が増えて、家に仏壇がやって来て、わたしと弟がそれを継ぐんだろうけど、わたしたち姉弟には子供がない。家はここで絶える。その意味、というか意義を、わたしは知らねばならないと思う。わたしも弟も、幼い頃から暗黙のうちにそれを受け入れていたと思う。わたしたち姉弟は何かについて話し合ったことなどほとんどない。話す必要のない一族、それを知ったのが11年前の叔父の死の時だった。そしてその時、同時に母の孤独を理解した。
言葉が分からないまま繰り返し繰り返し読んでいるうちに、ようやく少しずつわかって来る難解な本みたいだと、わたしは自分の人生について思う。だから何だと言われても何も言うことはないけれど。でも、今この時にわたしが心やすらかでいられることは、絶対にただの偶然なんかではない。良いことも、そして不都合に思えることも、全部ちょうど良く出来てるんだ。
わたしは今、階段を昇る練習をしているところ。少しずつ昇り方が分かって来た。わたしが『このような人間』であったことを、今この瞬間ほど僥倖に思ったことはかつてない。わたしには有り余るほど多くのものが与えられている。それがありありと分かる。そして誰も彼もみんな同じだけ与えられているものなんだろう。
叔父はどんな風に亡くなったんだろう。ほとんど話したことのない叔父だったけど、きっと相応しく逝ったんだろうな。
明日は堺で講座の日。
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